|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
2022年3月9日 伊香保温泉~草津温泉 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伊香保温泉 ~草津温泉
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
草津温泉バスターミナル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月9日、伊香保温泉バス停から10:37分の草津温泉行き高速バスにちょうど2席だけ空席があり、予定通り12時少し過ぎ草津温泉に到着できた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今日の宿、大坂屋は湯畑の先でチェックインは13時から。バスターミナルからゆっくり歩いていく。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
草津温泉は2019年9月と2020年11月に続き3度目の来訪。今日は和風旅館「大坂屋」に予約した。お風呂は湯畑より「湯畑源泉」を引湯して源泉かけ流しで泉質も問題なくいい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「手洗乃湯てあらいのゆ」 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
湯畑のセブンイレブンでお昼にパンを買って湯畑を眺めながらお昼にする。目の前の湯畑から直接ひかれた源泉”手湯”でしっかり手洗いして。 群馬大が「草津温泉の湯に新型コロナウイルスを不活性化させる効果がある」と発表した手湯である。ということは内湯もその効果があるのだろう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
湯畑を下って数十㍍さきに趣のある建物・白壁木造4階建ての「大坂屋」が目に入る。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
13時チェックイン。部屋は中屋敷という棟の307号室。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大坂屋館内図⇒ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駒草の壷という12畳と3畳がついた部屋。大窓の外は白根神社に続いている山裾に雪が残って軒には1㍍もあるつららが何本も下がって、まだまだ草津は寒い。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駒草の壷・307室 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
早速お風呂へ。3階突き当りのエレベーターで一階に降りてフロントと逆に行った先に男女大浴場が並んでいる。まだ一時で誰もいないお風呂は貸切状態でゆっくりのんびり。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
湯畑から「湯畑源泉」を直接引湯している源泉かけ流し宿自慢のお風呂。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
貸切・洞窟風呂 |
女/大浴場・白玉の湯 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
女/蒸し風呂・露天風呂 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Mの肩痛も今日は温泉3日目、毎日毎日何度も入浴しているが、少し軽くなったと言ってはいるが、そう劇的な効果は期待できない。当たり前のことだがそう簡単に治れば苦労はない。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
夕食は2階の個室・懐石料理。和室で二人だけの夕食はゆっくり静かでいい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大坂屋オリジナルワイン |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大阪屋オリジナルボトルワイン&料理は素材もよく味付けも薄味でとてお美味しかった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
夕食後にもう一度ゆっくりお風呂。明日はなにも予定がなくごろごろお風呂三昧の一日。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
男/大浴場・君子の湯 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
男/露天・ひのき風呂 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
2022年3月10日 草津温泉 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
3月10日 6時半起床 ラジオ体操して、朝食は8時から昨夜と同じ2階の2号室でいただく。 |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
朝ごはん食べてMがやすんでいる間散歩に出る。雪で歩けるかわからないが、部屋の大窓から見上げた山裾からその先という白根神社を目指してみる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大坂屋を出て湯畑と反対側にすすむ。湯畑の滝のしただからかこの通りは滝下通りという。宿の端を左に回り込むとひろい坂道が続いているので上がってみる。日晃寺という寺がありお参りする。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日晃寺横は「桐島屋旅館」というレトロな和風旅館で草津の華やかさから取り残されたような雰囲気でその前を通った先に白い鳥居があり白根神社東参道の文字が見える。やはりここから上がれるんだとまだ雪の積もった参道を一歩一歩進んでみる。足跡もあり踏みしめられた所を辿って登って行く。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
思った通り大坂屋の部屋から見えたところだ。Mがやすんでいるはずの部屋は思ったより遠く中の様子はわからない。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さらに進むと三峯神社草津分社の小さな祠の前に出る。白根神社が少し先に見えてきた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山の雪道も神社の近くは広い歩道になってもう雪で滑る心配もなくなってほっとしながら境内に進む。白根神社をお参りしたあと、近くに芭蕉句碑の案内があるのでそっちへ行ってみる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
こんな所に芭蕉の句碑がある。草津に芭蕉は来ていたのかと思ったら違った。句碑の「夏の夜や 谺にあくる 下駄の音」は芭蕉が京都で詠んだ句で、意味が草津温泉の賑わいと似ていると天保13年(1842)草津の俳人坂上竹烟が松尾芭蕉150回忌に建立した。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホテル「桜井」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
白根神社の長い石段を町の中心に向かって下りる。下から何組かのカップルに出会ったが、この石段を登ってくるのは結構大変そうで、雪道だったが裏から登ってきた方がだいぶ楽に登れたようだ。裏道を通ってホテル「桜井」近くにあるスーパーもくべいに寄りおやつを買って行く |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
光泉寺 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スーパーから坂道を下ると、湯畑上お「光泉寺」脇に出たので寄っていく。湯畑からの石段は雪が残って凍っていて裏から寄れてよかった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
光泉寺の「遅咲き如来」 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
下の湯畑辺りから見上げるた光泉寺 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「光泉寺」から湯畑脇を下って宿に戻る。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
少し休んで13時から予約していた貸切・洞窟風呂に行く。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
貸切・洞窟風呂 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お風呂はロビーを出た先にあり、思ったより広く洗い場やシャワーもついて貸切時間40分ゆっくり入れた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロビーにある囲炉裏でお茶をいただき休憩。夕食前にもう一度大浴場へ。 夕食は6時から。昨夜と同じ料亭2号室で |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今夜はすき焼きをリクエスト。ここはいつも二人でゆっくりいただけるのがいい。上州牛のすき焼き美味しかった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
草津の二日間もあっという間。明日は高崎へ移動する。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
2022年3月11日 世界遺産/富岡製糸場 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2022年3月11日 草津温泉から上州富岡「富岡製糸場」見学へ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
富岡製糸場内掲示の世界遺産認定書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月11日 草津温泉大坂屋/朝9時にチェックアウト。宿の送迎バスで草津温泉バスターミナルまで送ってもらう。 バスT 9:20分発のJRバスに乗ってJR吾妻線-長野原草津口駅へ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JR吾妻線-長野原草津口駅 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長野原草津口10:08分発のJR吾妻線高崎行に乗車。電車はガラガラで11:35分高崎駅に到着。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上信電鉄・下仁田行は12:13分発なので待ち時間に今夜宿泊する「ホテル1-2-3高崎」へ寄って荷物を預かってもらう。ホテルは高崎駅東口を出るとすぐ近く、フロントに荷物を預けて駅に戻る。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上信電鉄はJR高崎駅西口階段を降りた先にありJRの線路に併行している。 窓口で「富岡製糸場見学往復割引乗車券」セット券を購入2200X2=¥4400- |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
こんな機会でなければ乗ることはほとんどないだろう、ローカル電車上信電鉄のに乗り上州富岡駅へ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上信電鉄/高崎駅ホーム |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高崎駅~上州富岡駅は所要45分。 電車の窓上ポスターは、広告はほとんどなく沿線住民の人達の手書き絵画がびっしり掲示されている。全てが上信電鉄応援メッセージ入りの絵で老若男女ほのぼのした絵ばかり、とても微笑ましく乗客を和ませてくれる(地元の乗客は無関心そうだが)。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
田園風景の中を走って間もなく富岡製糸場最寄り駅の上州富岡に到着。立派な駅舎で駅を出ると町中どこもかしこも世界遺産をアッピールしている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅と市内~富岡製糸場を循環している「まちなか周遊観光バス」 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東繭置所入口の要石 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上州富岡駅から「富岡製糸場」までは迷うことなく10分ほどで入口に到着。体温測定やマスク着用や場内巡回の注意があってチケット提示して入場する。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東繭置所 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
入口から入るとすぐ目の前に巨大なレンガ造りの工場の建物(東繭置所) ここから見学開始。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
繰糸所 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
富岡製糸場 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
富岡製糸場見学入場口正面の 東置繭所は、繭を貯蔵していた建物で、2階に乾燥させた繭を貯蔵し、1階は事務所・作業場として使っていた。今は資料の展示室になっている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東置繭所のとなりの建物は、繰糸所で開設当時400名余の女工さん達が働いていた場所。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東京国立博物館所蔵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
繰糸所:自動繰糸機 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
明治初期の繰糸所内部。 中央にフランス式繰糸機を2列に並び置き、両窓際に揚返機が設置されている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
繰糸所=繭から糸を取る作業が行われていた建物。長さ約140mの工場、創設時にフランスから導入した金属製の繰糸器300釜が設置され、世界最大規模の器械製糸工場だった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
西置繭所は今は ギャラリー(資料展示室)になっている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
西置繭所1階 ギャラリー(資料展示室) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
首長館は指導者として雇われたフランス人 ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
首長館(技術指導者) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
首長ポール・ブリュナ(中央) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
工女寄宿舎「妙義寮」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭和15(1940)年、首長館の南西にこの2棟の工女寄宿舎が建設された。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここも工女寄宿舎で一階は大広間になっていて、演芸やささやかな憩いの場になったりした。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
諏訪神社 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
帰りは町外れの富岡・諏訪神社横の道を通って上信電鉄・上州富岡駅へむかう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上州富岡駅 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「富岡製糸場」の玄関口、上州富岡駅は世界遺産登録に合わせて駅周辺と一帯整備されたそうだ。 鉄骨レンガ積造りでレンガの台に大天井を載せた個性的な建築物。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高崎駅通路に上野三碑(こうずけさんぴ)のレプリカ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上州富岡駅13:58分の電車に乗って高崎駅に14:36分戻ってくる。駅一階のローソンに寄って夕飯にお弁当を買ってホテルへ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JR高崎東口 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅を出て遊歩道を渡ると左目の前が今日の宿「ホテル1-2-3高崎」 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一泊朝食付ツインルーム\8000-安い!のにいい眺めの最上階901室に入れてもらった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホテル1-2-3高崎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このホテルは格安にもかかわらず2階に大浴場がある。着替えて早速お風呂にいく。チェックイン直後でお風呂は誰もいないでのんびり入る。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホテル1-2-3高崎2階の大浴場はエレベーターをおり目隠しのついたての間を抜けた先で、女性浴場は暗証番号キーを持参して入る。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
入浴後部屋でビールとコンビニ調達の夕食。明日は渋沢栄一史跡を訪ねて帰路につく為、朝早いので荷物を整理して早めにやすむ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホテル1-2-3高崎/レストラン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月12日、旅行最終日。 早朝に起きてラジオ体操して二階レストランで朝食を済ませる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
2022年3月12日 高崎~渋沢栄一記念館 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
1868年(明治元年)の前年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月12日旅行最終日。快晴、今日は「日本資本主義の父・渋沢栄一」生誕地を訪ねる。 近代日本経済の父 渋沢栄一は天保11年(1840)深谷市血洗島の農家の家に生まれ、幼いころより家業の藍玉の製造.販売.養蚕を手伝い、明治維新後政府に仕官「道徳経済合一説」を唱え約500以上の企業を育て、約600の社会公共事業に関わり功績を残した。2024年よりは新1万円札の顔となる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高崎駅東口 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
朝食後ホテルをチェックアウト、電車は7:45分発の熱海行き、急ぎ高崎駅へ向かい乗車。 渋沢栄一さんの生まれ故郷、深谷へ向かう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JR深谷駅(レンガ風のタイル張り)"ミニ東京駅" |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高崎駅7:45分発~8:15分深谷駅に到着。 改札から表に出てみてびっくり!深谷駅舎はまさに”東京駅”と瓜二つ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「レンガのまち深谷」は、渋沢栄一が明治20年につくった日本煉瓦製造会社から始まり、東京駅や多くの近代建築物建築に使用された。駅前や深谷の町はレンガでつくられた建物がとても多い。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
深谷駅前の青淵広場にも渋沢栄一像 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
深谷駅北口、8:31分発のコミュニティバスくるりん(\200)に乗り尾高惇忠生家へ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コミュニティバスで渋沢栄一記念館ひとつ手前で下車するとすぐ前が「尾高惇忠.生家」 尾高惇忠は渋沢栄一の10歳上のいとこであり、論語を説いた師であり、最初の妻の兄でもあり、二人の縁は深く強いものだったろう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「尾高惇忠.生家」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尾高 尾高惇忠 |
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢栄一の生まれた血洗島から尾高惇忠の下手計の家までは約1km、この道を栄一が惇忠に論語を習いに通った道であることから、「論語の道」と呼ばれ、またこの地域一帯が「論語の里」と呼ばれるようになった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尾高塾のこの部屋で、渋沢栄一は学問を受けていたのだろうか |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「尾高惇忠.生家」から中の家(渋沢栄一旧宅)に向かって歩く。途中に栄一ゆかりの鹿島神社に寄り参拝。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藍香尾高翁頌徳碑 | 境内には栄一らによって建てられた尾高惇忠の人となりや業績を伝える藍香尾高翁頌徳碑が建っている。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鹿島神社 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢栄一の生誕地 ”深谷市血洗島”という物騒な地名、現在もそのまま使用されている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢栄一誕生地「中の家」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
深谷市血洗島の渋沢栄一生誕地、旧渋沢邸「中の家」は明治28年(1895)に栄一の妹夫妻により建てられたもので、栄一は多忙の合間も時間を作り、年に数回はこの家に帰郷した。現在耐震工事中で白いカバーに覆われていた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢栄一 |
尾高
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧渋沢邸「中の家」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
NHK大河ドラマ第60作は「日本の資本主義の父-渋沢栄一」の生涯を描いたドラマ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2024年より新1万円札の顔となる | NHK:参照 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中の家にある渋沢栄一の父母の慰霊碑(招魂碑) 渋沢栄一により建立された |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
同じく 中の家にある渋沢平九郎追懐碑。これも渋沢栄一により建立された |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧渋沢邸庭に「血洗島」「青淵」「中の家」案内版 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢邸の裏にでると栄一の雅号のついた「青淵公園」で清水川に沿って広がり桜並木が「渋沢栄一記念館」までつながっている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「青淵公園」を進み深谷市立小学校の先に「渋沢栄一記念館」が見える。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここも「渋沢栄一記念館」裏側に建つ渋沢栄一像の視線は何処を見つめたいるのかしっかり遠くを見つめている。記念館もレンガに囲まれ「レンガのまち深谷」らしい建物。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢栄一/アンドロイド( 高い知性をもつ人間型ロボット)講義を受講するため「渋沢栄一記念館」に入館。講義はすべて予約制で人数制限がありいっぱいの時間もあって10時からを予約していた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
入口で体温測定して体調確認され正面の受付で今日の予約票を提示し受講番号をもらい2階の講義室へ。 10時講義開始まで2階の講義室前で並んで待つ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢栄一70歳ごろの アンドロイド(人間型ロボット) 洋装の立ち姿 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10時少し前、市の担当者さんから講義の内容や受講の注意事項の説明があって入室。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢栄一 | 渋沢栄一/アンドロイド( 高い知性をもつ人間型ロボット) |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
講義内容は渋沢栄一84歳の頃のものだが、アンドロイドは栄一70歳ごろの洋装の立ち姿。 30分の講義が終わると写真撮影が許された。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
講義を聞き終えてから館内の渋沢栄一関連展示室を見学する。 帰りのバスの時間に表に出ると入口脇で近所の農家の人たちにより野菜やくだものが販売していて、名物の深谷ねぎやトマトブロッコリーなど安く売られていて持てるだけ買ってしっかりビニールで包装してもらいお土産に買って帰る。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
記念館入口バス停から11:25分発のコミュニティバスに乗車し深谷駅に戻る。 1159分発の熱海行に乗る予定が人身事故で40分も遅れて発車、東京駅に14:00時ころ到着。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
2022年3月7日~12 伊香保温泉~草津温泉 富岡製糸場~渋沢栄一史跡 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢栄一アンドロイド(人間型ロボット)講義の内容について | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢栄一70歳ごろの アンドロイド(人間型ロボット) 洋装の立ち姿 |
大正時代に渋沢栄一が語った『道徳経済合一説』 「仁義道徳」と「生産殖利」つまり、「道徳」と「経済」とは、共に両立して進むべきものでございます。 にもかかわらず、多くの人は儲けに走り道徳心を忘れてしまう傾向にありますので、昔の偉人は、このことを人に教える際に、道徳を説き、お金儲けを戒めることに専念いたしました。 ところが、後の学者はこれを誤解して、お金儲けと道徳は対立するものとし「仁則不富。富則不仁。(仁すなわち富ならず。富すなわち仁ならず。)」と考え「利を得れば義を失い、義に依れば利が離れる」、つまり「儲けに走れば道徳を忘れ、道徳を重視すれば利益が薄くなる」と速断してしまい、ついには「貧しいことが清く美しく、富むことは汚れることだ」などと、偏って論じられるようになってしまったのであります。 しかし、私が尊敬する孔子の教訓には決してこのような意味はありません。 孔子は道徳に反した利益は良いことではないと戒めてはおりますが、道徳にあった利益はこれを理に適うものとしています。孔子が富むことをいやしんだのは、不義の場合に限っていることであり、道徳に適った利益は、君子の行いとして恥じる所でないとしたのは明らかであります。 私が聞くところによれば、経済学の祖であるイギリス人「アダム・スミス」は「グラスゴー」大学の倫理哲学教授であって、有名な「国富論」を著わして、近世経済学を起した人ですが、孔子の考えと同じであります。このため、 道徳・経済合一は東西問わずの世界中に適する不変の、いつまでも変わらない原理であると、私は信じます。 また、孔子が弟子の子貢(しこう)の問に対して答えた「博く民に施して、能く衆を済う(ひろく民に施して、よく衆をすくう。)」という言葉からも、国を治める者にとって、利益を生みだす経済活動は決して疎かには出来ない事である、と私は堅く信じておるのであります。 私は学問も浅く不勉強ですので、実行できることも微力でありますが、ただ、道徳と経済とは、全く合一するものであるということを確信しておりまして、私が行なう事業においてもこれを証明していけると思っております。これは決して今日になって言い出したことではありません。 自分の思いが、正しい国家の隆盛を望むならば、国を富ますということに努めなければなりません。そして、国を富ますためには科学を進め、商工業の活動も進めていかなくてはなりません。そこで、商工業を進めるためにはどうしても「合本組織」いわゆる株式会社の組織が必要であります。そして、株式会社の組織をもって会社を経営するには、完全にして強固なる道理によって行わなければなりません。そして、道理によるならば、その基準は何になるかと申しますと、これは孔子の「論語」による外はないのです。 ゆえに不肖ながら私は、「論語」によって事業を経営してみようと考えまして、これまで「論語」を論ずる学者が道徳と経済とを別物にした考えは誤りであり、必ず一緒になし得られるものであると、こう心に決めて数十年間経営しましたが、大いなる過失はなかったと思うのであります。 さて、世の中が進歩するに従って社会もますます発展してきました。しかし、それに伴って肝心な道徳仁義という考えも共に進歩してきたかというと、 残念ながら「進歩していない」と答えざるを得ません。逆に大きく後退したことが無きにしもあらずといえます。このことは決して国家にとって良いことではありません。国家は国民が富むことさえできれば、道徳が欠けても仁義が行われなくとも良い、と言う人は誰もいないと思います。そんな極論がまかり通れば、次第に社会生活の様々な事柄が上手くいかなくなってしまうと想像するのは、誰でもわかることですし、その実例は世界中に余りに多くございます。 このように考えて参りますと、今日、「論語」を基本にした私の主義である 「道徳経済合一説」がいつの日か広く世の中に普及し、みなさんの考えとして社会に受け入れられる様になることを大いに期待するのでございます。 【「道徳経済合一説」大正12年(84歳)】 |
渋沢栄一 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「富岡日記」を書いた 横田英さん |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
草津大坂屋館内図 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||